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映画『清須会議』評 [書評]

三谷幸喜の映画『清須会議』を観てきました。
かみさんと一緒にです。

印象として、本人も書いてますが、三谷幸喜作品としては思いっきり真面目に、まるで大河ドラマのように(三谷幸喜が脚本を書いた「新撰組!」よりもさらに大河ドラマっぽく)きっちりと歴史の場面を描いてます。

清須会議とは、天正十年6月、本能寺の変で織田信長が討たれた後、討った明智光秀も秀吉に破れて敗死してから、主立った織田家の重臣が織田家発祥の地とも言える(実際の発祥は勝幡城ですが、信長が尾張統一を成し遂げた頃の本拠地は清須)清須城に集まって、織田家のこれからの体制を話会ったという会議である。主立った重臣とは
  ・織田家筆頭家老 柴田勝家(越前を領有し、北陸探題)
  ・織田家宿老 丹羽長秀(若狭を領有し、織田信孝の補佐として四国攻め担当を予定)
  ・織田家部将 羽柴秀吉
  ・信長の乳兄弟 池田恒興
の4人である。信長死去前の序列だと、関東管領の滝川一益がナンバー2かナンバー3のはずであったが、信長死去による混乱の中で北条に急襲されて敗北し、新領地の関東を追われて敗走の最中だったので、この会議には間に合わず。

信長の跡取りとしては、本来は長男信忠がいるが、信忠も明智光秀に攻められて二条城で敗死しているため、次男信雄、三男信孝、そして信忠の嫡男の三法師(当時3歳と言われる)の3人が候補となり、柴田勝家が三男信孝を押したものの、最後は信長の嫡男三法師が跡取りとなる、というのが会議の顛末である。

この映画は、この4人に(三谷幸喜のアイディアとして)官僚の前田玄以を加えて5人による会議とその幕間の動きを極めて真面目に描いたもので、見応えがあった。一方の軸となる信長の妹のお市の方(鈴木京香)に惚れて会議の切所で盟友丹羽長秀の信頼を失う柴田勝家(役所広司)と、光秀を討ったことから上り調子で天下を狙う羽柴秀吉(大泉洋)とが終始対立しているが、その間で揺れ動く丹羽長秀(小日向文世)と池田恒興(佐藤浩市)の心理描写が実にうまい。最後の最後で丹羽長秀が勝家を裏切るあたりの描き方は、映画を観た誰もが、そりゃあ裏切るだろうよ、と思わせるような説得力であり、いきなり宿老並みにされて戸惑う池田恒興の描き方もうまい。この4人の心理劇として、舞台公演にしても充分に成立する脚本だと思う。

この映画で感心したのは、清須城の描き方である。織田家初期の頃の本拠地とは言え、安土城などと比べると小さな城で、確かに集まった重臣4人にお市の方や三法師(とその母)が、庭を挟んですぐ近くに泊まっていた可能性は大であり、この点は映画を観て初めて、なるほどと思った。

史実として確定してない部分で、映画を面白くするために大胆に取り入れたのは三法師の母の設定である。実は織田信長の長男信雄の嫡子は三法師だが、その母親は諸説あってわかっていない。その説の1つに、信長が武田信玄と親交があったころに婚約が決まっていた信玄の娘松姫が母親という説があり、この映画ではその説を採用して、三法師の母として剛力彩芽を抜擢している。

なるほどと思ったのは、実は三法師が跡目を相続するにあたって、信長の三男信孝の出生の筋目が会議で問題とされたので、その点で三法師は問題とされてないのは史実であり、その意味ではその母親が武田信玄の娘なら、出自としては充分であり、ひょっとしたら本当に松姫が三法師の母かもととも思った。

戦国時代とはいえ、出自は極めて重視される場合が多い。例えば信長の兄弟はたくさんいるが、どうやらその中で、信秀正室の土田御前の腹から生まれたのは、以下の5人と考えられる。
 ・織田信長
 ・織田弾正忠信勝(一般には信行と呼ばれ、信長と家督を争い、謀殺される)
 ・織田喜六郎秀孝(15歳の時、誤って家臣に射殺される)
 ・織田三十郎信包(のぶかね 信長に重く用いられ、長命している)
 ・お市の方
早くに死んだ信勝と秀孝は別として、信包とお市の方はいずれも織田家で重要な存在となっていて、信長の他の弟たち(信治、信興、秀成、信照、長益)とは扱いが違っている。

同じように信長の子たちをみると、正室同様に扱われていた生駒吉乃から生まれた子は信忠、信雄と、家康の長男に嫁いだ徳姫の3人であり、一方で清須会議で柴田勝家が押した三男信孝は低い身分の女の子で、同い年にもかかわらず、次男信雄とは明確に扱いが区別されていた。本能寺の時点で信雄の官位は正五位下・右近衛中将に対し、三男信孝は従五位下侍従2ランク差がある。それも、信孝はかなり有能な男とされててのこの差だから、出生の筋目の差は大きかったのだと思う。

その意味で、出自を問題として信孝が退けられたにもかかわらず、あっさりと三法師が跡目になったことから言って、三法師の母は筋目が正しい、つまり武田信玄の娘松姫だったというのは、それなりに納得できる。

映画の中で、脚色であると思うが、史実と違う点は、会議の最後で滝川一益が間に合ってること。実際には一益が尾張に帰って来た時には、とっくに清須会議は終わっていた。

三法師と母松姫が本能寺の変の折りに京都にいたのも脚色かと思ったが、これは史実として一説にいたのではないかという研究成果があるようで、これはまんざら嘘でもなく、諸説の中で映画に都合がいい説を採った、ということらしい。

映画の後半でお市の方が積極的に柴田勝家を虜にしようとしているが、これは最近の研究でもそうなのではないかという説もあり、これも嘘ではない。それに加えて信孝が動いたという説もあり、反秀吉で積極的だったのは、勝家というよりもお市・信孝というのは、史実としてありえるようだ。

このように、この映画はかなり大まじめに史実を踏まえていて、私としては是非観て下さいと推薦したい感じの、気に入った映画です。

この『清須会議』、脚本の三谷幸喜さん自身による原作本の他、いろいろ本が出てるみたいです。
下にまとめたので、よろしかったらどうぞ。
Kndle版もかなりありますね。


清須会議 (幻冬舎文庫)

清須会議 (幻冬舎文庫)

  • 作者: 三谷 幸喜
  • 出版社/メーカー: 幻冬舎
  • 発売日: 2013/07/26
  • メディア: 文庫




清須会議

清須会議

  • 出版社/メーカー: 幻冬舎
  • メディア: Kindle版




清須会議

清須会議

  • 作者: 三谷 幸喜
  • 出版社/メーカー: 幻冬舎
  • 発売日: 2012/06/27
  • メディア: 単行本




三谷幸喜 創作を語る

三谷幸喜 創作を語る

  • 作者: 三谷 幸喜
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2013/11/15
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)




誰も書かなかった 清須会議の謎 (中経の文庫)

誰も書かなかった 清須会議の謎 (中経の文庫)

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 中経出版
  • 発売日: 2013/09/21
  • メディア: 文庫




誰も書かなかった 清須会議の謎 (中経の文庫)

誰も書かなかった 清須会議の謎 (中経の文庫)

  • 出版社/メーカー: KADOKAWA / 中経出版
  • 発売日: 2013/09/30
  • メディア: Kindle版



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書評「舟を編む」 三浦しをん [書評]

三浦しをんさんの「舟を編む」を読みました。この本は2012年度の本屋大賞第1位に輝いた本で、映画も作られてこの4月に封切られました。なので、今さら私がこの本の紹介をする、などというわけではなく、単に読後の感想です。現在国際会議でドイツに出張中で、時間もあるので、既に3日間で2回読みました。それだけ面白い小説です。

映画の方は松田龍平・宮崎あおい主演で4月に封切られてますが、残念ながらまだ見れてません。(だって、鳥取には来ないんだもん) いずれ、映画の方もぜひ観たいと思ってます。

この本は「大渡海」という架空の日本語辞書を編集する人たちの物語です。この大渡海という名前は、大槻文彦の「言海」などからの連想でしょう。この「言海」は日本最初の国語辞典とも言うべき辞書で、この物語の中にも何回も出てきます。

物語は、新たな国語辞典「大渡海」を編集している編集主任の人がもうすぐ定年退社というあたりから始まります。自分の跡継ぎにと探した馬締さん(まじめと読む)がこの物語を通しての主人公です。物語は大きく2つに別れていて、この馬締さんが辞書編集部に入って来て、仕事に慣れるまでと、その役10年後、いよいよ「大渡海」完成間近の時期とが描かれてます。後半の部分だけ、新たに辞書編集部に廻された岸辺みどりが狂言回しとして登場します。

読後感としては、何かを作るのに夢中になる人たちへの作者の温かい目が感じられて、非常に爽快になる本ですね。私自身は物理学者ですが、理系の研究の世界もまったく同じです。やはり大学院博士後期課程の頃とか、その直後のポスドクの頃とか、自分が手がけている研究テーマだけを夢中になって考える時期でしたね。みんなそうでしたし、今のD院生・ポスドクの人たちも、分野を問わずにそうだと思います。私は会社に勤務したことが無いので、会社ではわかりませんが、この本のように1つのことを任されて、地道に、しかし確実に仕上げていって評価されたという経験を持つ幸運な人も、少なくないのではと思います。あるいは、そうあって欲しいという作者の願いも入っているのかもしれません。

職人気質というか、1つの事に熱中し、とにかく自分が納得いくまで入念に仕上げていく・・・  今の日本人がどこか忘れてしまったものを、この本は教えてくれているような気がします。

作者の三浦しをんさん自身、とても辞書が好きなのでしょう。国語辞書への愛情に溢れている感じです。そして、同性愛者のようなマイナーな存在にも温かい目を注ぐ作者の視点が印象的です。

情報科学の世界で最近注目されている分野に「自然言語処理」という分野があります。これは自然言語、例えば日本語を機械的に処理しようという研究で、その意味では理系なんですが、でも、日本語とその用例という文系的なセンスも無いと勤まらない分野だと思います。そんな、理系と文系の挾間にいる自然言語処理系の研究者・開発者・学生の方々などにも、ぜひ読んで欲しい本ですね。きっと、共感できる部分があると思います。


舟を編む

舟を編む

  • 作者: 三浦 しをん
  • 出版社/メーカー: 光文社
  • 発売日: 2011/09/17
  • メディア: 単行本



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『八重の桜』にちなんだ会津戦争についての本2冊 [書評]

今年のNHK大河ドラマは会津藩士の家に生まれた女性の一代を描く『八重の桜』(主演:綾瀬はるか)ですね。それに関連した本を2冊、最近読んだので紹介しておきます。

紹介するのは星亮一氏の書いた本2冊で『会津落城』『八重と会津落城』です。内容は相補的で、2冊続けて読んでも重複はあまりないと言っていいと思います。私は『八重と会津落城』を先に読んで後から引用されていた『会津落城』を書店で探して買ったのですが、これから買って読むなら『会津落城』を先に読んだ方がいいと思います。

『会津落城』は会津攻防戦を中心とした戊辰戦争全体を描いた本で、会津若松城攻防戦に限らず、大鳥圭介の率いる旧幕歩兵隊の北関東の戦いや奥羽越列藩同盟の結成、白河口の戦い、北越戦役など、戊辰戦争全体を著者なりに丁寧に描いており、大河ドラマ「八重の桜」の時代背景を知るのにちょうどいい好著と言えると思います。長岡藩を中心とする北越戦役が新潟港という奥羽越列藩同盟軍唯一の海外との貿易港確保の戦いとみると、戊辰戦争の全体を左右する戦いだったという指摘は非常に新鮮でした。

『八重と会津落城』は、実のところ同じ著者が前著の『会津落城』で書けなかった、あるいは書きたかったけどページ数の関係で落とした内容を中心に再編集した著書のような内容です。特にタイトルと違って前半には八重はまったく出て来ない。強いて言えば八重の実の兄である山本覚馬(大河ドラマでは西島秀俊)についての言及は多いと言えます。山本覚馬という人物は当時の最新式の洋式銃陣に詳しく、会津藩が鳥羽伏見から戊辰戦争に至る過程で極めて重要な人物であり、この人物、つまり八重の兄について知ることは、この後の展開を知る上で助けになります。ちなみに、会津藩が薩長との戦争で装備が旧式で遅れを取った理由も、山本覚馬が鳥羽伏見の戦い後に行方不明(実は負傷)になったことが大きいと思います。

大河ドラマの主人公であり、この本の題名にドーンと出ている八重(綾瀬はるか)は後半の会津若松城攻防戦のあたりに集中的に出てきます。ただ、面白いのは前作の『会津落城』では八重が最新式の7連発スペンサー銃を手に攻防戦に参加した事と、23日に土佐藩兵が大損害を受けた攻防戦とを別々に書いているが、『八重と会津落城』では板垣退助(大河ドラマでは加藤雅也)率いる土佐藩の迅衝隊を相手に北出丸・西出丸で激しい銃撃戦を展開し、土佐藩指揮官を次々に狙撃して大損害を与えたのは八重の狙撃であると明記されている。これはつまり、『会津落城』執筆後に著者が知った事実ということなのであろう。

また、もう一つ、この2冊の違いは、奥羽越列藩同盟の結成のきっかけとなった世良修蔵惨殺事件の記述である。この事件、八重となんら関係が無いにもかかわらず、『八重と会津落城』に極めて詳しい記述がある一方、『会津落城』では1行で済ませていて具体的な事実関係に詳しく踏み込んでいない。こういう事を見ても、『会津落城』執筆後、書き切れなかった事に八重の事を付け加えて、大河ドラマ人気を当て込んで新たに書いたのが『八重と会津落城』であろうと推察できる。

なお、会津敗戦の原因として著者が挙げるのは、いくつかある
・旧式装備(山本覚馬による新式銃購入は間に合わなかった)
・白河の敗戦
・北越戦線崩壊による新潟港の喪失
・家老西郷頼母の起用(著者は西郷頼母は邪魔な存在と言っている)
・会津各部隊の連携不十分
・会津藩の民政での失敗(による住民の官軍への協力)

上記については、紹介した2冊の本を読んでいただくとして、これら以外に私が考える会津側、そして奥羽越列藩同盟軍の敗戦の原因は、攻勢を重視したことにあると考える。戦国時代の兵法から言えば相手を攻めるのは勝つための常套手段であるが、実は幕末当時は歩兵の持つ銃の性能が格段によくなった時代で、歩兵が攻めるよりも陣地を築いてそこから攻めてくる相手の兵を狙撃した方が有利な、防御が有利な時代なのである。同時代のアメリカ南北戦争でも山場のゲティスバーグの戦いでは兵力的に劣勢な北軍が籠もる防御陣地を南軍が無理に攻め、大損害を出したのが敗北の原因となっている。
 奥羽越列藩同盟軍は白河口の戦いでは、装備が旧式な分、守りを固めるべきなところ、攻撃に拘って防御の甘さを突かれ、戦線を崩壊させている。また、会津の攻防戦でも攻撃に拘る余りに官軍が母成峠を突破した際にも次の攻勢に備える余り、近くの会津軍各部隊はその背後を突いていない。堅固な陣に籠もっての防御戦に徹していれば官軍に大出血を強い、あるいは有利な講和も可能だったかもしれない。
 
 ご紹介した2冊は、大河ドラマ『八重の桜』をより楽しむためには、格好の本と言えると思います。
会津落城―戊辰戦争最大の悲劇 (中公新書)

会津落城―戊辰戦争最大の悲劇 (中公新書)

  • 作者: 星 亮一
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2003/12
  • メディア: 新書



八重と会津落城 (PHP新書)

八重と会津落城 (PHP新書)

  • 作者: 星 亮一
  • 出版社/メーカー: PHP研究所
  • 発売日: 2012/12/16
  • メディア: 新書



ゲーム理論、やっぱり勉強しよっと [書評]

昨日の、経済物理学やネットワーク関連の研究者4人での飲み会(正確には特別講義の先生の慰労会)でゲーム理論の話題が出たとき、やっぱりノイマンの原点に戻って考えようという話になったので、早速、アマゾンでフォン・ノイマンとモルゲンシュテルンの「ゲーム理論と経済行動」を注文。今さらという感じですが、お盆と8月下旬〜9月上旬のヨーロッパ出張中に読むことにしようかな。

ゲーム理論は、始まりはノイマンとモルゲンシュテルンですからかなり古いのですが、最近では社会科学系の研究者の人たちと交流してみると、異分野の人同士が共通して議論できる土台がゲーム理論になっている感じに見えます。ゲーム理論自体が果たして今のままで大丈夫かという問題はさておいて、ともかくも議論の土台になっている以上、こちらとしてもしっかりと把握しておきたいなと思うのです。

物理学者など自然系の研究者はゲーム理論を教育としては受けてません。プレイヤーの意志が入り込むゲーム理論は自然科学的でないと言えるのですが、でも、経済物理学や社会物理学などの分野をやるとなると、やはり、社会科学系で議論の土台となっているゲーム理論の言葉で、自分の言いたいことを表現する方が、議論をうまく進める近道でもあるので、やはりしっかり勉強しておこうかなと。

ノイマンとモルゲンシュテルンの「ゲーム理論と経済行動」はゲーム理論の古典とも言うべき本であり、しかし、この後多くの発展があるので、この本だけでゲーム理論の勉強が尽きるわけでもない。でも、今のゲーム理論が間違った方向に進化していったとすれば(もしも、ですよ)、原点に戻ってじっくり考察し、別の道は無かったかと考えてみるのは、悪くないと思うのです。
ゲームの理論と経済行動〈1〉 (ちくま学芸文庫)

ゲームの理論と経済行動〈1〉 (ちくま学芸文庫)

  • 作者: J.フォン ノイマン
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2009/05/11
  • メディア: 文庫



ゲームの理論と経済行動〈2〉 (ちくま学芸文庫)

ゲームの理論と経済行動〈2〉 (ちくま学芸文庫)

  • 作者: J.フォン ノイマン
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2009/06/10
  • メディア: 文庫



ゲームの理論と経済行動〈3〉 (ちくま学芸文庫)

ゲームの理論と経済行動〈3〉 (ちくま学芸文庫)

  • 作者: J.フォン ノイマン
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2009/07/08
  • メディア: 文庫



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『つながり』を読んで:パートナーとの出会いと日本の少子化現象 [書評]

ニコラスAクリスタキスとジェイムズHファウラーの『つながり 社会的ネットワークの驚くべき力』を読んでの感想です。と言っても、まだ読了したわけではなく、読みつつ感想を書いていく、ということ。

まず、第3章「ともにいる者を愛す」で、男女がパートナーと出会うことに社会的ネットワークが働いているということが、述べられている。シカゴでの調査
E.OLauann et al, The Social Organization of Sexuality : Sexual Practices in the United States (Chicago University of Chicago Press, 1994)
をベースに、アメリカの男女の出会いは、親戚や友人など、男女の両方をよく知っている、当人たちと1次や2次の繋がりの人たちのネットワークが大きな役割を果たしているという結果をいろいろ紹介し、考察している。アメリカでも、日本からのイメージと違い、自分でパートナーを見つける人はむしろ少数派で、友人のネットワークが大きな役割を果たしているらしい。もちろん、最近はFacebookなどによる出会いも増えていると指摘しているが、やはりアメリカでも男女両方をよく知っている人からの紹介が大きな役割を果たすという点は、当分変わらないと主張してます。

翻って、日本の少子化現象、さらには独身男女が恋愛に消極的ということをこの章の内容から考えてみました。日本でも、アメリカと同様に社会的ネットワークによる紹介が男女の出会いに大きな役割を果たしていると考えると、最近の恋愛しない男女、出会いに消極的な男女が多いというのは、現代の日本では男女の出会いを支える社会的ネットワークに支障が出てきているのではないかと思えるのです。ここで言う社会的ネットワークはFacebook, twitterやmixiなどのことではなく、現実のリアルに繋がってる友人知人のネットワークである。

男女の出会いを支える、つまり本書が指摘する、男女双方をよく知っている友人知人が出会いをアレンジするためには、紹介したい男女両方をよく知っている友人が何人かいることが不可欠でです。これが現代の日本で消滅しつつあるのではないか、それが恋愛の減少、出会いの減少の原因なのではないかと思えてきます。男女双方をよく知っている友人たちがパートナーとして紹介してあげるためには、男女がほどよく入り混じっている繋がり、ネットワークのクラスタが必要である。それが今の日本ではどんどん少なくなってきているのではないか。

どういうことかというと、男女が入り混じって存在し、恋のキューピット役となるネットワーククラスタとは、例えば学校や職場の人々の繋がり、趣味の友人の繋がり、スポーツの場での繋がり、馴染みの居酒屋の繋がり、ご近所の繋がり、などであります。これが日本で減少しているのかなと思ったのです。もちろん、これらの繋がりは当然ありますが、今の日本ではこれらの繋がりがどんどん男女別に分かれて形成されるようになっていって、男女、特に未婚の若い男女が入り混じった、適当な大きさ(ノードの数、つまり参加者の数)と親密度のクラスターが、不足してきているのではないか、ということです。

かつての、戦前の日本では、家長制度という法律に守られて、「家」という存在が大きかったです。家の制度では本家と分家が血縁で結合し、本家のトップがその全体を面倒みていて、法律的にもその権限が保証されてました。なので、本家分家は盆や正月などいろいろな機会に顔を合わせ、本家のトップは分家の隅々まで気を配っています。その時代では、たとえばある家で息子の太郎君のお相手を探そうという場合、まずは身近の別の家の本家を訪ね、相談します。
「うちの太郎にそろそろ嫁さんをと思うけど、そっちの家に誰かいるかな?」
「そうだなぁ・・・、おお、分家の権蔵のところの三女がそろそろ女学校を卒業するはずだ・・・。あの娘ならいい嫁になるだろうが、そっちの太郎君とやらは、どんな人だ?」
なんて会話で、それなりにカップルとしてお似合いかどうか、周囲で考えた上で見合いとなっていたわけです。これをネットワークとしてみると、本家分家の家制度自体が、男女が入り混じったクラスターとして働いていることがわかります。

家制度を復活しろとはいいませんが、それに代わる仕組みを生み出すことに、戦後日本が失敗したのかもしれません。欧米なら、教会に集う人たちの集まりが、その地域のネットワーククラスターと言えるかもしれません。つまり、戦前日本での家制度と似た役割は、教会のクラスターで果たされていたかもしれません。

今の日本では、本家なんてそもそも存在しないし、各家庭一軒一軒回って適当なお相手がいるかどうか、聞いて回っていたらきりがありません。ご近所仲間といっても、一般には近所の繋がりは、今の日本では主婦が中心であり、どうしても女性中心のクラスタになりますから、男性の情報は入りにくいでしょう。逆に職場は男性が中心のクラスタになりますし、女性がかなりいる職場でも、正社員クラスタはほどんど男性、派遣社員クラスタは女性ばかりで、お互いの交流が無い、ということは少なくないでしょう。中高のクラスメートは男女入り混じることが多いですが、同じ年齢に限られてしまうので、男女で若干年齢差があることが多い恋愛のパートナーを支援するクラスタとしては不十分です。このように、日本の社会の隅々が、意外に男女別クラスタに別れてしまっていることが、恋愛が減ってきている原因の1つにあるかもしれません。

Facebookやtwitter、mixiなどのSNSも、そうした男女の入り混じったクラスターとして機能することが期待されますが、これらはあまりにも規模が大きく、リアルに会ったことのない人たち同士では、なかなか恋愛パートナーの紹介まで行けないでしょう。出会い系サイトのようにいきなり本人同士が接触して探り合うのではなく、本来は男女両方をよく知っていて仲介できる人たちが何人かいることが望ましいので、その点では今のSNSはちょっと不十分と言えるでしょう。

ネットワークのシミュレーションで、社会のネットワークがいくつかのクラスターに別れ、恋愛の可能性のある独身男女の入り混じりがどれくらいかの割合を変えて計算してみると、男女の入り混じりがあるしきい値を下回ったとき、急激にカップル成立の割合が減少するという非線形現象が出てくる可能性はありましね。そして、今の日本はそのカップル率の急減少に近い状況になっているのではと予想してしまいます。

なんて、こんなことを、3章まで読んだところで考えました。上記の考えの裏付けの統計調査などはしてないですが、過去に調査があれば、参考にして考えてみたいですね。


つながり 社会的ネットワークの驚くべき力

つながり 社会的ネットワークの驚くべき力

  • 作者: ニコラス・A・クリスタキス
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2010/07/22
  • メディア: 単行本



『スティーブ・ジョブズ』を読んで [書評]

アップル創業者であり、アップルを中心にITの世界に大革命をもたらしたスティーブジョブズの伝記である。スティーブ・ジョブズがアップルのCEOを退任した機会に出版するつもりが、結果的にジョブズ氏追悼の伝記になってしまったという本である。既に多くの人が読まれていると思うので、いまさら感想を書いてもこれを役立てる人はあるまいとは思うが、他の人とは違う、私なりの感想を書かせてもらうことにする。

まず、この本の意義だが、それはこの本が限りなく、スティーブ・ジョブズの「自伝」に近いということである。もちろん、本人か書いた物では無いので自伝とは言えないが、スティーブの性格から言って、どんなに長生きしても自分で自伝を書いたとは思えない。そして、本書は書くにあたってスティーブ・ジョブズ自身が極めて協力的にインタビューに応じており、そして作者のウォルター・アイザックソンもスティーブ自身が協力したという歴史的意義を充分に理解し、本書の随所にスティーブ・ジョブズ自身のコメントが入れられている。それによって、コンピュータの歴史の上の大事件などで、スティーブ・ジョブズ本人がどう考えていたのか、少なくとも本人のコメントとしてそれが読める形になっている。いずれ、もっと大局的に1960年代〜2020年代のコンピュータ・ネットワークの歴史がまとめられると思うが、そうした科学史、技術史を書く上での第一級史料の1つに本書はなるであろう。(歴史学における第一級史料とは、その内容の素晴らしさからではなく、同時代に当事者の手によって書かれた文献を指す。例えば藤原道長の日記や信長公記など)

この本を一読して、スティーブ・ジョブズの特異な性格に驚く読者も多いだろう。私もその1人である。ただ、本書を読めば読むほど、私は物理学史上のある有名人を連想するようになった。その人は非常に潔癖症というか、間違いや仕事の質に厳しい人で、質の悪い研究、誤りがあると思われる研究には遠慮会釈無く攻撃し、相手を馬鹿だ、間抜けだ、時間の無駄だった、すぐにここから出ていけと口汚くののしる。そしてそれは相手が目上だろうと一切関係ない。ある意味では非常に無礼であり、それだけに周囲から怖れられる存在となるのだが、その判断が常に公平で誤りが無いことから、悔しくてもその言うことを認めざるを得ない事が多い。

こう書いていくと、スティーブ・ジョブズによく似てると思われないだろうか?この人はオーストリア生まれの物理学者、ヴォルフガング・パウリである。パウリはノーベル賞受賞者であり、その辛辣で的確な評価で、ある研究にパウリが同意すると、「パウリの裁可を得た」と言われた。スティーブ・ジョブズにライバルとしてビル・ゲイツがいるように、パウリにも研究を共に進め、また競い合ったほぼ同年のライバル、ヴェルナー・ハイゼンベルクがいる。こう考えると、スティーブ・ジョブズという個性もまた、2人といない個性というほどではないかも、と思えてくる。

さて、スティーブ・ジョブズは1955年2月24日生まれである。私はぼほ2年年下であるが、だいたい同じ時代を生きてきたと言っていい。それだけに、第1巻を読んでいくにあたり、あの頃はそうだった、こんな事があった、などと同時代を生きてきた者だけが味わえる感慨を持ちながら読み進むことが出来た。

また、本書の特徴として、今まであまり書かれていない貴重な記述がたくさん出てくることが挙げられる。それは、以下のことについての記述である。
・家族関係のこと(養子の話、リサの話、実の妹、結婚、子供等)
・ネクストステップでのスティーブ・ジョブズ
・ピクサーでのスティーブ・ジョブズ
・闘病の話
スティーブ・ジョブズはこれまでにも多くの本で語られてきたが、その多くはアップルの歴史としてのジョブズであり、スティーブ・ジョブズがアップルを離れていた期間は、主にアップル社の迷走を詳述することが多く、その間のスティーブ・ジョブズの動きは簡単に触れる程度であった。それが、本書では大々的に触れていて、特にピクサーのジョブズがこれほど書かれたのは本書が初めてではないか。ピクサーでの苦闘と最後の成功は、その後のアップルでのジョブズの活躍を準備する意味で欠かすことのできない部分であり、その意味でも貴重な本と言える。

第2巻でスティーブ・ジョブズがアップルに復帰してからは、iMac, MacOS X, iPod, iPhone, iPad, iCloudと、我々に馴染みのある、つい最近の製品の開発の裏話が続出で、加速度的にページをめくってしまう。これらの製品の発表会におけるジョブズの姿は我々も当時のニュースで知ってるだけに、その裏側はこうだったのかと、いろいろと興味深い。

第2巻では、そうした明るい話題と対をなすように、闘病の話が出てくる。本書の記述の最後からわずか2ヶ月くらいでスティーブ・ジョブズは亡くなるので、その最後の姿まで、ほとんどを書き尽くしたと言っていいだろう。ビル・ゲイツとの最後の会話など、読んでいて心に迫るものがある。

本書は、アップルファンのみならず、携帯の進歩に興味ある人、クラウドに興味在ある人、電子書籍に興味ある人、など、技術の進歩とそれによる未来に興味ある全ての人に勧められる本と思います。


スティーブ・ジョブズ I

スティーブ・ジョブズ I

  • 作者: ウォルター・アイザックソン
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2011/10/25
  • メディア: ハードカバー



スティーブ・ジョブズ II

スティーブ・ジョブズ II

  • 作者: ウォルター・アイザックソン
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2011/11/02
  • メディア: ハードカバー



スティーブ・ジョブズ I・IIセット

スティーブ・ジョブズ I・IIセット

  • 作者: ウォルター・アイザクソン
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2011/11/05
  • メディア: 単行本



『大学教員 採用・人事のカラクリ』を読んで [書評]

櫻田大造著『大学教員 採用・人事のカラクリ』(中公新書ラクレ)を読みました。
ざっと、感想と、それに加えて自分のことも。

この本は大学教員への採用、および大学教員の人事について書かれた本で、一昔前の鷲田小彌太さんの「大学教授になる方法」とはまた違った(時代が違った)、新たな、大学教授になる方法の本と言えます。内容を見ると、現に大学教授をしている私の目からみて、きわめてまとも。本書を一読して、その言うことを非常に大雑把に要約すると、次のようになるでしょうか。
・大学教員になるには、博士号が必要(一部の幸運な分野を除く)
・研究する上で研究分野が世の中から必要とれているかを考える必要はないけど
 大学教員のポストの数は、世の中から見ての必要性で決まる。
・大学教員は公募が増えている
・大学教員の公募を受けるなら、自分の年齢や研究分野、自分の実力をよく考えましょう
・そもそも、専任の大学教員は忙しく、優雅ではない
・採用されるに当たって重要視されるのは、研究業績、教育能力(経験)、管理能力
ね、大学の先生をやってる身からみると、当たり前のことばかりでしょ?
この本の著者は政治学ですから、物理学の私から見ると文系理系の違いはありますけど
書かれていることは、同意できることばかりです。

ところで、本書の冒頭に優雅なA教授と悲惨なB教授の喩え話が出てきます。
本書の本筋とは関係ないですが、この優雅なA教授が今の私と似てるところが多いので、おお、私は優雅な教授生活なんだぁ、と再認識しちゃったところです。

この本に出てくる優雅なA教授の生活と私の生活の相違点は
・朝10時に出勤は同じ。ただ、私は通勤は自転車で5分。
・同じく、優秀な秘書がいる
・A教授は年収1350万だが、私は国立大なのでそんなに多くない
・今年の外部からの研究資金はA教授は500万だが、私はその数倍
・A教授の雑収入は300万だが、わたしはその百分の一も無い
・講義の数はA教授と私、週3つで同じ
・授業では、A教授の講義と同じで、ウチの学生も真面目です
・研究室の学生は学部も院も少人数という点で同じ
・息子が受験で高3ということも、同じ
・サバティカルは、無い

旧帝大系から来た同僚の先生方は、地方国立大の先生は悲惨とか言うけどこの本でいろいろ比べると、私のいる鳥取大工学部も、条件は悪くないですね。既に大学の先生になってる人は、そんな風に自分の状況と他の大学とを比べるということも、本書からできます。

社会人の人で社内で研究やそれに近いことをしている人の中には、会社で管理職になるよりも大学教員を目指す人も少なくないと思います。そんな人にとっても、どの分野で考えるか、自分の年齢を考えてどう公募戦略を立てるかなど、非常に参考になる、オススメの本です。拾い読みでなく、社会人の人こそ、じっくりと全部読まれて、大学教員とはどんな職業でどんな労働環境か、よくわかってから、公募に挑まれることを勧めます。




大学教員 採用・人事のカラクリ (中公新書ラクレ)

大学教員 採用・人事のカラクリ (中公新書ラクレ)

  • 作者: 櫻田 大造
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2011/11/09
  • メディア: 新書



新 大学教授になる方法

新 大学教授になる方法

  • 作者: 鷲田 小彌太
  • 出版社/メーカー: ダイヤモンド社
  • 発売日: 2001/11/29
  • メディア: 単行本



社会人から大学教授になる方法 (PHP新書)

社会人から大学教授になる方法 (PHP新書)

  • 作者: 鷲田 小彌太
  • 出版社/メーカー: PHP研究所
  • 発売日: 2006/02
  • メディア: 新書



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