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乃至政彦「戦国の陣形」 [書評]

乃至政彦「戦国の陣形」講談社現代新書

この本は戦国時代の合戦で用いられたとする陣形についての本である。古代律令制の軍団の陣形から始まって、源平合戦や南北朝・室町前期の合戦時の戦闘部隊の状況、そして武田・上杉を嚆矢とする戦国時代後期の陣形の解説と進んでいく。全体としてみると、鶴翼だの魚鱗だのという陣形は虚像であり、実際に本当の意味で陣形というのが出来上がってくるのは武田・上杉の合戦の頃、ということという内容である。

陣形と言っても、諸葛孔明八陣法と言われるような鶴翼、魚鱗、偃月、鋒矢という陣形は八陣法の誤解からの伝言遊びのような誤解が数百年の間に成長し、江戸時代の軍学書に定着した虚構であるとする。実は三国志演義(元代〜明朝初期に成立)にも魚鱗、鳥雲の陣などは出てくるので(官渡の戦いよりも前の袁紹と曹操の戦いで、袁紹は魚鱗、曹操は鳥雲の陣と書かれている)、日本だけの虚構ではなく、中国大陸との影響のやりとりはあると思う。そのあたり、本書でも触れられているけど、ちょっと不十分であるとは言える。

ちなみに、本書によれば、本来の諸葛公明八陣法は3×3の9マスの中央に主将が在陣し、その前後左右斜めに8つの部隊が配列している陣。それを八種類の陣形と誤解して、勝手に8種類列挙していった室町・江戸期の軍学書が、陣形の誤解をいっぱい生んできた要因としている。これは面白い見方であり、私もそうなのかと納得した。

南北朝以降の室町時代の合戦でも、武田・上杉が陣形に画期的な提案をする前は、陣形と言っても「鶴翼と言ったらサッと拡がり、魚鱗と言ったらグッと密集」という程度の知識の武将らによる陣形なので、実際に本人達の記録で鶴翼や魚鱗が出てきても、精緻な陣形を指しているのではない、というのが乃至氏の主張である。もう少し裏を取りたいところだけど、これも説得力がある主張である。

さて、甲陽軍鑑を頼りにすると、いわゆる陣形というのを本格的に導入したのは武田信玄であり、それは山本勘助の助言による。例えば1万の軍勢を千人ずつの部隊に分け、それぞれを家老並みの部将に率いさせて、「全軍を鶴翼の陣形とする。まず左翼は品川、大崎、目黒、恵比寿の各部隊、右翼には澁谷、原宿、代々木、新宿の各部隊が並び、中央に大久保と余が率いる本隊が位置し・・・」などという指示をするには、その戦国大名の傘下の各封建領主が率いてきた部隊を千人ずつの軍団に再編成する必要がある。南北朝や応仁の乱の頃までは、各リーダーは助勢に来てくれた各領主の部隊をそのまま戦闘に投入するのが精一杯で、軍団としてきちんと編成することは、したくても出来ない状況だった。それが、関東での北条、武田、上杉という強力な大名の衝突が繰り返される状況で、各領主が連れてきた部隊を軍団として再編成し、さらに兵科別に編成するという近代的な軍隊の様相を呈するに至る。このあたりは、西股総生「戦国の軍隊」(学研)で既に述べられていて、北条氏を中心とする記録から北条氏では兵種別編成が戦国時代後期には一般的になっていることが説得力ある説明をされている。

この武田による近代的な軍団編成に対し、衝撃的な勝利を収めたのが上田原の戦い(天文17年)で武田軍を撃破した村上義清である。甲陽軍鑑によれば村上義清は強力な武田軍相手に弓勢・鉄砲勢・騎馬・徒歩勢の3兵種の分割し、まず弓、次に鉄砲の一斉射撃、そして騎馬隊の突撃とそれに続く徒歩兵の部隊の攻撃で武田軍が誇る陣形(軍団ごとで編成した陣形という当時新しいもの)を完膚無きまでに撃破しているのである。これを、村上義清が後年武田に追われて越後に助けを求めてきたとき、上杉謙信(当時の長尾景虎)によって代替的に上杉軍に採用されたとする。有名な第4次川中島合戦で信玄本隊を撃破して典厩信繁を始め多くの部将を失った武田軍の敗北(実質的には敗北である。信玄はこの合戦の感状を一通も発行していない)は、兵種別編成(弓勢、鉄砲勢、槍勢(歩兵隊)、騎馬勢)を徹底させた上杉軍によるものであった、ということである。ちなみに著名な車掛かりとは陣形ではなく、各兵種の軍勢の繰り引きのことであるとする。これも納得できる。

本書ではこのあと、実際の合戦における陣形について、これまでの説と本書の主張による説を比較して説明する。川中島、三方原、関ヶ原である。数ある合戦からこの3つをピックアップした意味は、今ひとつわからないが、まぁいいとしよう。川中島については上杉による車掛かりが繰り引きであって陣形ではなく、謙信による機動的な兵の運用に、信玄の、諸葛公明八陣のような信玄本隊を中心にした八陣が敗れたとする。このあたりは説得力があり、納得できる。

次が三方原である。参謀本部編「日本戦史」にある陣形を掲げ、さらに「武家事紀」に掲げる陣形を掲げ、いずれも実際とは違うとしながら(これは納得)それ以上突っ込んでいない。ただ、三方原については、高柳光壽『三方原之戦』という三方原合戦では金字塔のような研究書があり、ここに掲げた陣形が俎上に挙げられていない点は不満である。高柳氏は「甲陽軍鑑」「松平記」「信長公記」「武家大成記」「服部半蔵武功記」「三河物語」などを基に、陣形図ではなく、それぞれの資料に記されている合戦経過での戦いの時系列から整理して両軍の陣形を推定しようとしている。

まず、徳川側の陣形であるが、これは「甲陽軍鑑」に記されている上原能登守(小山田信茂家臣)の「徳川勢は一重で厚み無し」という報告から、一重の横隊であると推定する。少し前の姉川合戦での徳川方の陣形も参考にすると、徳川勢は酒井忠次麾下と石川教正麾下の2つの軍団に別れ、さらに三方原の場合は佐久間信盛・平手汎秀などの織田からの援兵と家康旗本の第一線での戦闘が見られることから、3軍団に別れ、その3つを横に並べた上にその後ろに家康本隊があるとする。武田との戦闘の時系列から見ても妥当と思える。

徳川側がほぼ横一線であるとすれば、これと武田のどの部隊がどんな順番で戦うかを記録から追えば、ほぼ武田方の陣形が推定できるというのが高柳氏の思考である。上に掲げた複数の記録からは以下のように戦闘の時系列が整理できる。
  1.武田方の小山田隊が徳川方の酒井勢、石川勢と戦闘
  2.武田方の山県隊と徳川方の石川勢、家康旗本が衝突。
  3.武田方の小山田・山県両部隊がやや引いたところに、武田方の馬場隊が戦線に加わり、酒井勢と衝突
  4.武田勝頼隊が家康旗本・石川勢と衝突し、武田方有利に
  5.武田方の内藤隊が戦線に参加(内藤隊所属の小荷駄隊の甘利らが小荷駄を置いて戦闘に参加)
  6.信玄本隊と穴山隊は動かず
以上から高柳氏が推測した陣形を、私なりに書いたのが、図1である。
武田方の各部隊が3000とすれば、6隊で18000。これに信玄本隊を加えて25000くらいというところか。徳川勢は織田の援軍を併せても1万強と推定されるから、最初の小山田隊・山県隊の6000では徳川勢の総攻撃を支えきれずに引くのは理解できるし、馬場隊の加入で拮抗し、武田勝頼隊・内藤隊の戦闘参加で徳川軍総崩れというのは、数だけで考えて理解できる。以上が高柳光壽「三方原之戦」を基にした三方原の戦いの陣形で、この本は昭和31年に出版されているので、せめて引用して議論はして欲しかった。

そして、関ヶ原である。よく使われる参謀本部編「日本戦史」の関ヶ原の陣形がキレイすぎて、ちょっと信用できないというのは私も納得である。ただ、明治の頃に陸軍を指導したメッケル少佐が陣形を見て「西軍の勝ち」と言ったのは、この両軍陣形図の作成の日時とメッケル少佐の在日の日付から言ってあり得ないというのは、あまり言われていないことで、なるほどと思った。

ただ、本書では筆者は西軍は大垣城からの退却の途中で東軍と裏切った(というか最初から東軍の)小早川秀秋に補足されたのが関ヶ原の戦いとしているが、これはどうだろう。確かにその可能性もあるが、別の可能性もあると考える。関ヶ原の戦いの前日までに関ヶ原南側の松尾山砦に小早川勢が、南宮山に毛利勢・長宗我部勢がすでに布陣している。石田三成ら西軍本隊が笹尾山〜天満山のラインに布陣して、小早川勢、毛利勢と合わせれば、関ヶ原に布陣するであろう東軍を包囲できることはすぐにわかる。西軍圧倒的に有利な陣形である。この西軍有利な陣形を作り出せば、機を見るに敏な戦国武将なら、東軍っぽい小早川勢も旗幟不鮮明な毛利勢も、これは西軍側で勝てるとみて、「裏切って」西軍につくのではないかと期待した陣形なのではないかと私は推察する。西軍に付けば家康を撃滅できる有利な陣形に持って行ったのに、小早川・毛利(正確には吉川広家)の気が変わらなかったので、ダメだったかぁ、というのが関ヶ原の西軍陣形の理由なのではないかと思うのですが、どんなもんでしょう。

本書ではさらに、大阪冬の陣・夏の陣にも一章を割いて陣形や戦闘における鉄砲の割合の多さなどで、通説と違う説を展開し、なかなか説得力ある説明になっている。ここも面白い。

さて、長くなったけど、本書「戦国の陣形」についての感想は以上である。最後に、本書には書かれてないけど、これまでいろいろ言われてきた陣形の中で、斜めに配置する斜行陣(雁行陣)について一言。これは戦闘についてはどうのこうのという議論があるけれど、この斜行陣はそういう陣では無く、相手の出方を見る様子見の陣なのではないか。図2に示したように、斜行陣にしておくと、縦隊にも横隊にも、V字陣形にも逆V字陣形にも簡単に展開できるのである。なので、どの陣形で戦うか、相手の出方をみて決めるという場合に、この斜行陣が使われると私は考えている。なので、川中島での武田信玄本隊も、この斜行陣で待ち受けて、上杉勢の出方で展開する予定が、朝霧の中、いきなり上杉勢に突っ込まれて、この斜行陣のままで戦わざるを得なくなったのかな、という推測も、ちょっとしています。

ともかく、戦国時代の合戦を考える場合、本書と西股総生「戦国の軍隊」の2書は是非、読まれるといいと思います。

戦国の陣形 (講談社現代新書)

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  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2016/01/19
  • メディア: Kindle版




戦国の軍隊―現代軍事学から見た戦国大名の軍勢

戦国の軍隊―現代軍事学から見た戦国大名の軍勢

  • 作者: 西股 総生
  • 出版社/メーカー: 学研パブリッシング
  • 発売日: 2012/03
  • メディア: 単行本





戦国の軍隊 現代軍事学から見た戦国大名の軍勢

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  • 出版社/メーカー: 学研プラス
  • 発売日: 2012/03/19
  • メディア: Kindle版



陣形・図1a.jpg陣形・図2c.jpg
タグ:戦国時代
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